執筆者紹介

執筆者の紹介


唯樹 只埜さん
サイト:唯一の樹の下で

繊細で、非常にスタイリッシュな作風で、独自の
作品世界を描く。
2004年10月に、軽快なモーションで彩る
「Feline」を発表し、多くの人を魅了した。
FLASH製作の傍らで詩やCG製作を行うなど、
幅広い創作活動を行っている。



hmtbsmvさん
サイト:www.psychedesire.org

一見ナンセンスだが、細部に渡り作り込まれた
見る者を圧倒させるFLASHを製作している。
グループでの音楽活動や映像活動も行っており、
ブログでは現代の社会問題の核心を突く。
FLASH・動画板にとって、なくてはならない人物



ハリジャンぴらのさん
サイト:猫とファミコン

別名「ファミコンの人」
輝くモノと朽ちてゆくモノををこよなく愛する、
テキストサイト「猫とファミコン」の管理人。
公共料金氏の全作感想大会の運営に携わり、
第ニ回、第三回の紅白作品の全作感想を書くなど、
FLASHやFLASHイベントに対する想いが強い御方。
文藝祭のサポートも勤めて頂いております。



Rouxさん
サイト:MY-ROUX.ORG

東京や大阪、名古屋など、大都市で開催される
多くのFLASHイベントに参加し、客観的な視点から
正確なレポートを書かれる事で定評がある。
文藝祭のサポートも勤めて頂いております。



ひかげさん
サイト:日陰倉庫

「MM リターンズ」の主催。
ノスタルジックな画風で知られる。
クオリティの高い予告編で突如発表された
「JUVENILE」は、シリーズとしての今後の
展開が期待されている。



よみとばし

いわずと知れた第一回および第2回
Flash・動画文芸祭主催。
文章系というインテリジェンスなイメージのある
ジャンルの代表的な職人の一人なのだが
時に、いや頻繁に、信じられないようなボケをかますことで、
板内では愛されたり嫌われてたりする。



ワシ@部屋長さん
サイト:ワシの部屋

インチキサイト管理人と名乗りながらも、
とても繊細で心に染みるFLASHを作る方。
サイトの、毒を盛り込んだ秀逸な記事は必見。
昨年度の文藝祭では、10歳の少年が
少女との夏の思い出を語る「夏宵」を発表し、
大きく好評を博した。
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# by bungeisai | 2005-09-18 21:52 | 執筆者紹介

お知らせ

今後の予定


文藝動秋は週刊での連載を予定していますが、来週はちょっとアレがアレなので、
一回お休みを頂いて、10月2日に第二回のコラムを掲載させて頂きたいと思います。

お楽しみに。
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# by bungeisai | 2005-09-18 21:52 | お知らせ

第一回コラム

第一回コラム「作品中に於ける人物の"死"について」


「物語作品の中で登場人物が死亡する」

感動する話やサスペンスまで、様々なジャンルの
物語でよく扱われる事件であり、作品のカギとなったり
見る側を感嘆させることが数多くあります。

ですが、それが(フィクションにおける手法として)
あまりに稚拙であるために、観る側に何の
感興も呼び起こさない作品が多いのも事実です。

また、現実の死の重さを考え、
フィクションとしてであっても
安易に死を語るべきでない、という意見もあります。

本日は、そういった「作品中に於ける人物の"死"」に
ついて、先に紹介させて頂いた4人の方に語って頂きます。
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# by bungeisai | 2005-09-18 21:50 | 第一回コラム

第一回コラム

唯樹 只埜さんのコラム


さて、コラムという物を書けるほど文章に明るいとは思えないが、
面白そうな企画なので参加してみる事にした。

一回目の御題は「作品中に於ける人物の"死"について」という事で、
真面目な文章は他の方に任せるとして、適当に書いてみようかと思う。

まぁ"死"つったって、色々あるわけで。
次のセリフが「えー!死んだー!?」とかならギャグ漫画だし、
ヨン様が寂しげに微笑んでたら所謂韓流だろうし(見たことないけど)
死んだ直後に棺おけを埋めるシーンになれば洋物ホラーかなんかじゃないだろうか。

少女漫画なら格好よく死ぬし(大抵ヒロインの女性に微笑みかけたりしながら。
そこまで出来るなら避けろよ、とか突っ込みたくはなる)
少年漫画でも格好よく死ぬ(悪役が自分の人生を語りだしたら要注意だ!)

感動物と銘打った映画なら、まぁ十中八九主人公の親友か彼女だ。

いや、ステレオタイプな決め付けと解ってはいるが。

とまぁ、ありとあらゆるシチュエーションで、ありとあらゆる人が死ぬ。
(チャーリー・シーンがやったパロディ映画で
「やった!今までの映画の中で一番人を殺した!」
というシーンがあった気がするなぁ。あれもアイロニー的自虐だったんだろうか)

その中で更に殺すのは、中々骨の折れる作業だろうなぁ、と思う。
作業などと言うとお叱りを受けるかもしれないが…。
結局、どう感情移入させ、尚且つ上手く殺すか、というのは作業に他ならない。
ノンフィクションの場合は別として、だが。

それが上手ければ人は感動するし、泣くし、笑うし、怒る。
エモーショナリズムを上手く突ける。
(まぁツボのように突く物でもない気がするが)
一番安易で古典的な手である事は否めないが…
つまりは密室殺人と同じで、効率的で効果的なのだろう。

とはいえ、上手く人を殺す作品ばかりとは言いがたい。
安易かつ古典的であるが故に、失敗も数多い。
「またかよ」「マンネリ」「やっぱそこで死ぬのね」というような
感想は数多く見かける。

そりゃ、それだけ昔からやられてる事を今更トレースされても、
といった至極自然な感想、としか言いようがない。
上で述べたように、いかなるシチュエーションでも、
いかなるキャラクターでも死ぬのを見てるんだもの。
今更縦じまから横じまになるハンカチの手品見て驚けってほうが無理だ。
(まぁあの手際の良さに驚くことは出来るかもしれない)

さて、一体何が言いたいのかわからなくなってきたが、
別に何が言いたいわけでもないので、
投げっぱなしジャーマンで終わろうかと思う。

死について上手く扱ってるな、と思う作品を紹介する事も考えたが…。
まぁそういうのは心のうちにしまっておくほうが賢明だ。
個人個人で楽しめる作品があれば、それでいいじゃないか。

(最後になるが、私の文章に( )が多いのは、癖と言うのもあるが、
文脈を理解しにくくする為というのが大きい。そうやって下手な文章を隠すのだ)
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# by bungeisai | 2005-09-18 21:42 | 第一回コラム

第一回コラム

ハリジャンぴらのさんのコラム


えー初めましてでございます。ハリでございます。
「猫とファミコン。」と言うちんけなテキストサイトの管理人です。
非flash職人ですが、今回からチロチロとflashについて語らさせて貰います。
全く、主催はこんな素人引っ張り出して何を考えてるんでしょうねえ。

それはとにかく。
今日は物語の中における作中人物の「死」という装置について軽く書いてみます。

作中人物が死に、その死を巡って物語が進行する。あるいは重要なキャラクターが
死ぬ事で物語が展開するというのはflashに限らず、実によくある物語展開だ。
昨年の文芸祭参加作品の多くが、同じ様な物語展開をしていたことは
皆さんも記憶しているでしょう。
いや、文芸祭だけじゃない。「キミとボク」や「セイウンスカイ」等の古典的名作flashに
おいても作中人物の死はしばしば登場する。

作中人物の死というのは偶然ではなく、物語の「装置」として必然的に起きる。
物語とは出来事や事件を描く事なので、「死」も物語の常套手段として
よく登場するわけだ。しかも別離や変化、そして教訓などを与えてくれる
「死」という事件は見る者感動を促す効果が強く、シェークスピアどころか
神話の時代からよく使われている。
だから去年の文芸祭が作中人物の死で溢れてしまうのも、感動系flashなどと呼ばれて
二次配布サイトに並べられてしまう古典的名作flashたちの多くが作中人物の死によって
展開しているのも必然と言えるだろう。
常套手段だから。

しかし「こうも死ぬ話ばかり見せられても何だかなあ」というのが
去年の文芸祭を観た観客の素直な感想じゃないだろうか。作中人物の「死」は
確かに便利な物語装置なわけだけども、あまりに安易に使っても「死」はむしろ
その重々しさを失って嘘臭くなってしまう。
ましてflashは長くとも10分くらいの作品が多い。ホントだったら時間をかけて
掘り下げて描いて血が通ったところで死ななければならない人物を、
効果的に殺すのには難しい尺なのだ。

ではflashと作中人物の死という物語装置は相性が悪いのか、全く無謀な事なのかと
言われると、現実には名作flashと呼ばれる作品の中にも死を描いた作品は少なくない。
「死」は扱いの難しい主題だけれど、使い方によっては素晴らしい作品にもなりえるわけだ。
面白いことに「死」を取り扱った、いわゆる駄目な作品も名作と呼ばれる作品も
物語展開やプロットはそんなに大差はなかったりする。
それでも差が出てしまうのは、細かい演出や文章、キャラクター造形といった
技術的な部分によるところが大きいと思う。
つまり「何を描くか」ではなく「いかに描くか」に作中人物の「死」を描いた作品の
出来・不出来は別れるわけで、flashで「死」を取り扱うのならば、安易な作りをせずに
細部にこだわる必要があるんじゃないかなあと思うわけです。

……とflash弄ったこともないテキスト屋が言ってました。
「偉そうなこというな」とか石投げないで。
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# by bungeisai | 2005-09-18 21:41 | 第一回コラム

第一回コラム

Rouxさんのコラム


コラムの執筆依頼を受けたのはいいんだけど
難しいなぁと思いながらこの文章を書いています。
とはいえ、頼まれたものですので私が思うところを書きたいと思います。


私が思う『人物の死』というのは、
web作品に限らずですがそこから物語が始まったり、
新たな進展を迎える『きっかけ』になる事が多いと思うのです。
2時間ドラマなら捜査官の犯人探しが始まるし、
映画ならその『死』をきっかけに新たな展開になるでしょうし。

このコラムを書いている間に
BUMP OF CHIKENの『K』を聞いていたのですが、
この曲の中でも飼い主が死んでしまってその手紙をネコが届ける、
という展開に移るのも『きっかけ』なんだと思います。

逆の見方をすれば、この『きっかけ』を利用して
話を進めようとする作品もあるでしょう。
安易に話を進める手段にもなるので
扱い方一つで簡単にもなりえるし、
深く掘り下げていくのであれば難しくもなる。
それは作品を作る人次第だと思います。

web作品に特化して見てみると、人の死を扱った作品は
何かと話題になることが多いと思います。
人の死をどうとらえるかで作風も変わってきますし、
人の死をある種オブジェのように扱った作品もありましたし。
テーマにしやすいのもわかるのですが、
作品を見た人たちの感想も千差万別でしょう。

でも思うのです。
『死』を扱った作者さんの心情を理解するのは難しいかもしれませんが
作品を見て何かを考えるきっかけにもなりうるのも事実だと。
それこそ最近話題の『インスパイヤ』なのかもしれませんが
本当の意味での『インスパイヤ』なら、作品を作った人も作った甲斐があるのではないでしょうか。


長々と書いてしまいましたが、
私が思う『作品中における人物の"死"について』を
しめさせていただきたいと思います。
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# by bungeisai | 2005-09-18 21:38 | 第一回コラム

第一回コラム

ひかげAKさんのコラム


 どんな子どもでも、クレパスを握らせると落書きをはじめる。クレパスがなければ爪で紙を引っ掻きはじめる。絵の具の発明される遥か以前から、人類は岩壁に月や獣や太陽やを刻みつけてきた。それが絵と呼ばれ芸術とみなされるようになるよりも、ずっとずっと遠い昔から。

 卒業式の日に、机に自分の名前を刻み込んでいく。砂岸に大好きな人の名前を書いていく。ここにいる、自分はここにいる、ひとは何故だか痕跡をそこに残していきたい。たとえここから去った後にも、何かが残っていくように。

 哲学者達は、そんなところから<表現>は始まったのだと述べている。ヘーゲルは有限の自覚から美への意識は始まると言い、ハイデガーは死の宿命から芸術は紡がれると語った。人は、やがて消え去っていく存在だからこそ、その痕跡を表現として残していく。

 「命を超えて何かを残したい」

 ただキャラクタが死ぬのではなく、そうした叫びに、思いに問いに、キャラクタの死が作品が触れるとき、そこに私達はキャラクタを超えた作者自身の叫び声を聞く。作者の、表現することそのものへの祈りにも似た希求に触れる。「死」に感動するのは、そんな時じゃないかな、などと偉そうなことを考えてみたりみなかったり。
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# by bungeisai | 2005-09-18 21:37 | 第一回コラム