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第二回コラム

第二回コラム「”文章系”の作品とはなにか」



スタバに入るだけで緊張して挙動不審になるよみとばしです。
こんばんは。

つい最近までカフェラテとカフェオレの違いがわかりませんでした。
どちらもよく飲んでる飲み物で、しかもそれぞれが別のものだと
認識しているにも関わらず、です。

ふとネットで巡回している時にカフェラテとカフェオレの違いを
説明しているページに辿り着いて「カフェラテはエスプレッソと
牛乳で作り、カフェオレはコーヒーと牛乳で作る」という事を
知り、ちょっと得した気分になりました。

しかし、カフェラテはイタリア語で「コーヒー牛乳」という意味
らしく、また、「イタリアにはカフェラテなんて存在しない」
と説明しているページもあり、何となく釈然としません。

今でも「カフェオレがエスプレッソ入ってるんだっけ」という風に、
エスカレーターとエレベーター並に、二つの判別が付かなくなります。
わかってるねんで!?(ネタ知らない人ごめんなさい。。。

先日、「今年の文藝祭では、文章系という呼称を一切使わない」
と、文藝祭のスレッドで宣言しました。

説明不足の為に多くの反論が出て、参加者を増やす為の策だと
誤解され、ハリさんに助け舟を出して頂いてその場は収まりましたが、
これ以上混乱を招かないためにも、文藝動秋のテーマとして
お話させて頂きます。そして、ひかげさんには、数ある文章系と
呼ばれてきた作品群について語っていただきました。

今日は俺とハリさんと唯樹さんのコラム、
明日はRouxさんとひかげさんのコラム、という風に、
2部構成で発表でお送りさせて頂きます。それでは始まりなのです。



追記: 第二部、掲載させて頂きました。
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by bungeisai | 2005-10-03 23:55 | 第二回コラム

第二回コラム

Rouxさんのコラム



今回、このコラムのお話を頂いてから
とあるFLASHを見直しました。

見直して思ったことは、FLASHは
『文字』『音楽』『絵(もしくは情景)』の3要素でできる。ということです。
どんな作品でも、この3つの要素があればある程度のFLASHは作れる。
もちろん、文字が出てくるタイミングや絵の選び方、効果などは
作る人のセンスや意図するところにゆだねられますし、
伝えたいことがあるのであれば文字の速さやタイミング、
音楽との同期も必要になってくるでしょう。
そこは作る人たちそれぞれに任せておきましょう。

これを踏まえて、改めて文章系、ってどんなことだろうと考えました。
先ほどお話したとあるFLASHというのは『ある騒動の記録』というFLASHなのですが、
この作品は文章を読ませる事でみんなに伝えたいことを伝えている。
だとしたら『文章系』と称される作品に共通するテーマは
『メッセージ』なのではないか、と。
私の中での『文章系』の定義は『思いを伝えること』なのだ、と。
思いを伝える手段としてのFLASH。
文字が言葉や文章になるとき、そこに自分の意図することを込められれば
それこそが『文章系』なのではないか、と。

このコラムでも、思いを込めて書く事で
何か伝えることができれば、このコラムも『文章系』なのかもしれませんね。
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by bungeisai | 2005-10-03 23:54 | 第二回コラム

第二回コラム

ひかげさんのコラム


文章系作品について語る

 文章系作品について語る、というテーマなんですけど、ひとくちに「文章系」と言っても202さんやUTPさんのようなPV的な作品や15さんの通称「Unix」やナポレオンさんのようなドキュメンタリ・歴史系の作品、はたまた昨年文芸祭に出されたハンマさんの作品のようなアニメ系のものなどなど、幅広いですよね。そのうち、文章系の本道とも言えるのかもしれませんが、純文学的とでもいうのか、思わず人生を振り返ってしまいそうな一群の創作系作品が大好きで、しばしば短文感想を某所で書いたりしています。今回はフェリス伊東さん、赤木虫大さん、ワシ@部屋長さんについて語ってみます。(公共さんについてはキモイヤシさんらに譲りますよ。)


フェリス伊東さんの「さよなら、青い鳥。」

 凄く著名なFLASHだと思うのですけれど、私はこれが2ちゃんねるが生んだ最高の傑作なんじゃないかと考えていたりします。先の4月に、このFLASHを底本にした本も出ましたね。2ちゃんねる発の本なら「電車男」ではなくて、こちらをヒトには勧めたいところ。

 はじめて観た時、それはそれはもう号泣したのを覚えています。小谷美沙子さんの切々とした歌声といい、それ以外の言葉遣いではありえない、というほど実直で胸に突き立つ内省といい、今この文章を書くにあたって再見しながら、またこみあげてきました。

 ところで、この作品ほどAAで描かれてあるからこそ素晴らしい、という作品は他にないのではないかと思っています。2ちゃんねらの内省的表現として一つの完成形にある作品なのでは。私自身ヒッキーではないですし、実際には多くの2ちゃんねらはそうでないでしょうけれど、ヒッキーやニートというのは2ちゃんねらの「精神的自画像」なのですよね。彼らの内省的な言葉や表現には、やはりAAを用いなければ届かないものがあるのではないかと思います。

 作品の背景に、楽しく煽りあいながらも、過ぎていく時にふと立ち止まって物思う無数の2ちゃんねらたちの姿が見える。これからもどんどんFLASH作品は質的に向上していくのでしょうけれど、2ちゃんねるらしい作品という意味では、「青い鳥」を超えるものは生まれないのではないかという気もします。もしも数十年後に「2ちゃんねるとは何だったのか」が振り返られることがあるとするなら、その時、必ずひきあいに出されるFLASH作品の一つではないでしょうか。

赤木虫大さんの作品群

 赤木さん、と書いていますが、自分にとってはかなり身近な友人だったりします。なので、こっぱずかしいこと夥しい限りなんですが、詩文Flashの代表的な作者さんですね。詩文Flashの製作者として名前が挙げられるのはあとPoetry Japan「詩ネマ」の木村コウさんですけど、詩文作品というのは本当に難しいわけで、開拓者として期待しています。

 「縁」や「夕暮れに」も切々と胸に痛い作品ですが、「萌黄の庭」は泣ける、を通り越して胃にキタ覚えがあります。痛過ぎて吐きそうになりました。前回コラムで、「作品中の死」について書きましたが、彼の作品の根底に横たわっているのは「死」または「絶対的な離別」なのですね。前回念頭に置いていたのは、実はそこらへんだったりします。

 でも、それはひと言たりとも「死んだ」や「離別した」という言葉では書かれていない。「さよなら」という言葉すら出てこない。散りゆく夜桜の下でみる幻影という全体と圧倒的なイメージとが語っているわけで、先のFlash★Bombでの「銀河鉄道の夜に」でも、この童話を下敷きにしたところにそもそもの主題がありそうです。ちなみにそれは「夕暮れに」に出てきた女の子が好きだったのが「銀河鉄道の夜」だったことと繋がっているのかな?

 こうしたイメージと文章の全体的な統合でしか表現できない次元にその作品はあるわけで、彼の作品というのは、内容的に泣ける、というよりもそれは祈りに似ている。祈詞のことばよりも、祈ることそのものに意味があるような。文章系のひとつの極北と呼ばれるのは、そんなところにあるんじゃないかと思ってます。

ワシ@部屋長さん「ひぐらし」シリーズ

 足掛け1年半にわたって完結した?シリーズですけど、「夏宵」は特に心地よく泣きました。Flash・動画板の文章系を代表する作者さんと言えば、個人的にはこの方です。うっかり酔っているととんでもないネタでひっくり返されそうですが、そんな懐の深さも魅力です。

 そう、懐の深さ、というのがワシさんを語る場合のポイントではないかと思うのですけれど、「ひぐらし」シリーズの素晴らしさはその射程の深さ、一対の男女の生きざまをまるごと射程に収めた奥行きの深遠さにあると考えます。シリーズの全体の視点に立ったとき、場面の一つ一つが、その場面、その台詞、そのやりとりを超えた奥深い響きを持って胸に迫ってくる。

 ところで、シリーズは圧倒的なイメージを心に残す、「地獄変」ともいえる「空蝉」で終わるわけですが、実は一つだけ、気になっていることがあります。女性がこうした修羅の道ともいえる、果てしない痛苦の上にようやく最後の境地に辿り着くのに対して、男性側の苦悩はほとんど描画上には現れないわけですよね。「夏宵」で涙しながらもちゃっかり現在の奥さんを抱き締めちゃったりする。フェミニンな批評からすると「男女間の不均等」なんてことが言えそうです。

 でも、これはそう、男性側の苦悩や胸の痛みは、語られないことのうちに、こちら見る側のうちにあるのですよね。えもいえない深み、は大量のことばを込めているように見えながら、最後の一線で寡黙であるところから立ち上がってきているのではないかと思います。沈黙のなかにこそ音が響いていくように。


 ことばを用いながら、ことばを超える何かを伝える。文章系っていいですよね、と、まとまったところで、また次回、よろしくお願いします。
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by bungeisai | 2005-10-03 23:53 | 第二回コラム

第二回コラム

よみとばしのコラム



現在、文章系という定義は人によって認識の違いがあり、
「文章が使われている作品は全て文章系」という人から、「文章と
数枚の画像によって構成される、ストーリーを主とした作品だけが文章系」
という人まで、色んな人がいます。
また、色んな理由で「文章系って呼ばれてるけど、この作品は文章系じゃない」
と言われる作品も多々あり、定義の議論はいつも堂々巡りになっています。

これだけの文章系という定義に対して認識の差があると、カフェラテや
カフェオレのように定義がややこしいどころか「定義なんて存在しない」
としか言いようがありません。

「何でもいいからエスプレッソと別の飲み物を混ぜればカフェラテ」
「牛乳を入れた後エスプレッソを混ぜ、5分間加熱すればカフェラテ」
「エスプレッソと牛乳を混ぜたけど、蜂蜜が入ってるからカフェラテじゃない」

もし、人それぞれのカフェラテの定義があったら、「カフェラテを作って」と
言われたとしても、どうやって作ればいいかわからなくなります。
冷たかったり、はちみつが入ってたりして怒られるかもしれません。

文藝祭は、参加者の皆様にFLASHを作って頂くイベントです。
イベントという場を提供する上で、どういったFLASHを作って欲しいか、
しっかりと説明しなければいけません。

「文章系のFLASHを作ってください」
そう言う場合、文章系がいかなるものか説明しないといけませんが、
前述した通り、文章系というジャンルには明確な定義がありません。

説明を放棄して「自分が文章系だと思う作品を作ってください」
と言って「だから文章系って何だよ」って言い返されたら返答に困ります。

「文章系の作品を作らないといけない。でも文章系が何なのかわからない。」
そう苦悩したあげく、辞退された参加者も昨年いました。

FLASH・動画文藝祭、文章を主体とするFLASHなら、どんな作品でも
受付しております。



文章で魅せて下さい。そして、文章を映像で魅せて下さい。




よみとばして下さってありがとうございました。
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by bungeisai | 2005-10-02 23:44 | 第二回コラム

第二回コラム

ハリジャンぴらのさんのコラム


いやあ先週のアレ、楽しかった! やっぱりflash最高っす。
あんまり楽しすぎて帰ってきてから熱を出しました。
そして寝込みながらも投下される上映作を保存していました。
ファミコンの人は死ぬまでマウスを離しませんでした。
そんな感じで今週は文章系の定義のお話。

文章系という分類はもう何度も何度も言われていることだけど、はなはだ曖昧だ。
どうして曖昧かというと、その定義がないから。
他のジャンルが、アニメ、AS等の手法上での分類であったり、
PVのような作られた目的での分類であったりと、
その作品にそのジャンル名がつく理由が存在するのと違って、
文章系には文章系である理由がない。
言ってしまえば文章系と名付けられた作品には文章系と呼ばれる必然性がないのだ。
文章系と呼んでも良いし呼ばなくても良い、それが文章系の作品ってことになってしまう。
もっとぶっちゃけてしまえば作った人間が「文章系である」と宣言する以外に
この分類はなりたたないってことでもある。
つまり文章系というジャンルは作者の自己申告のジャンルということになる。
よくよく考えたらこの名称は2ch系flashでしか存在しない。
文章系ショートフィルムとか文章系映画とか訊いたことがない。
なんて不思議なジャンルでしょう。
しかしそれでは文章系flashと呼ばれる作品群、
およびその制作者が胡乱なものかというと、そんなことはないわけで、
むしろ個性派がそろう興味深いジャンルだったりする。
文章系という分類は胡乱かもしれないが、文章系とよばれる作品は存在するのだ。
じゃあ「文章系が文章系たる理由ってなんぞや」と問われたらどう答えるか?
そりゃ「文章がメインディッシュなflash」としかいいようがない。
テキストだけを抜き出して読んだとしても鑑賞に耐える文章、
テキストそのものに力があるflash、それが真の文章系なんじゃないんでしょうかね。
自分自身が公共料金信者なので公共料金さんを例に出して言うと(ほら、そこひかない)
彼女の作品でなにが一番肝かというと、やっぱりあの特徴的な文章にあるわけで、
あのワンアンドオンリーな文体なしにはあの独特な世界観や作風は生まれて来ない。
これは他の文章系の代表的な職人さんにも言える。文章系と呼ばれる人は
力のあるテキストを作品に盛り込んでいる人々と言う事もできるんじゃないだろうか。
Flashにおいては素材の一つでしかないテキストだけど、
それ一つだけでも十分に豊かな表現力を秘めている。
自己申告以外に定義のないジャンルですが、
今回の文芸祭に参加される方々、ここは一つ、
読みごたえのある魂こめたテキストを作品に埋め込んで貰いたいと思いますです。

……とflash弄ったこともないテキスト屋が言ってました。
「偉そうなこというな」とか石投げないで。
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by bungeisai | 2005-10-02 23:43 | 第二回コラム

第二回コラム

唯樹 只埜さんのコラム



さて、コラム第二回ということで、「文章系の定義」だそうです。
正直ね、一言で終わるよね。
「知らんがな」
極論を言ってしまえば、作者がそう言い張ればそうなのである。

そもそもFlashは表現方法として「文字」か「アニメーション」しか扱えない。
MG/PVはアニーションの派生、或いは受け取り手の認識の違いでしかない。
2D上でやる擬似的な3Dみたいなもんだ。多分。

なら文章的概念があって、作者がそういえばいいじゃないの。

さて、本流に戻しますと。
某スレにてジャンル分けに関して侃々諤々してた頃の定義は、
作品中に文章が使われ、かつテキストがメインである作品、だったように記憶している。

ただ、今は"ほぼ"そうは思っていないわけで。
文章以上に物事を語るイメージもあれば、イメージ以上に映像を伝える文章もある。
(ただ、相当稀に、ではある。そういう意味で"ほぼ"を付けた)
最近のミクスチャの流れ、或いは作品の高度化を考えれば、
理解できない概念をカテゴライズしてソートする、その思考自体が幾らか前時代的かな、とも思う。

なら、まぁアニメしかなくて一切文章使ってないけど文章系と言い張ったり、
黒バックに文字しかなくてもアニメを主張したっていいじゃない。
(まぁ後者は無理な気がするね、やっぱ)
といったスタンスというか。

まぁ強いて言うなら、文章での妄想がしやすい作品、
つまり文章のテンポに気をつけていたり、フォントを工夫したり、
読みやすいように位置を調整したり。
そういった作品が「文章系」なのかな、と思ってる。

あぁ、あとあれだね。
ご丁寧に下に「文章系作品です」とか書いてくれてる作品も文章系だろうね。
あと文藝祭に投稿してくるような作品も。

まぁ文章系かどうかは文章系が得意と思ってる職人さんと、
文章系を見るのが好きだという観客さんに任せておけばいいんじゃね。
そんな投げやりな2回目。
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by bungeisai | 2005-10-02 23:41 | 第二回コラム