第六回コラム

ひかげAKさんのコラム



最初に、とにもかくにも主催よみとばしさんはじめ運営の皆さん、参加された職人の方々、ほんとうにおつかれさまでした。刺激的な1週間、一観客としてとても楽しませていただきました。
こうして書き進めつつ、いま祭りの終わった少し寂しい余韻に、浸っています。

 さてさて、では「総括」なんですけど、「総括」というとどうしてもリンチ殺人を想定してしまう私としては、じゃあ今回はよみとばし主催をメッタ打ちにして息の根を止め、あとは雪山に埋めてくればいいのかな?なんて考えたんですけど、え、違うんですか?。。なあんだ、残念だなあ。いまなら埋めどきなのに。。

 いやしかし、でもですね、それは違うというなら、では「総括」ってそもそもどうやってやるものなのでしょう?よくわかりません。

 率直なところ、どうにもこのテーマは書きにくい。文芸祭をどう総括すべきなのか、何か語りづらいところがないですか?これは単に私が遠慮しているとか、そんなことではないと思うのです。実際、今回、多くの刺激的な作品が文芸祭には登場したと思うのですが、「どういうふうに反応すればいいのだろう」と、ところどころで観客の側も迷った、そんなフシをやや感じるところもありました。

 そして、この「よくわからない」という部分こそ、第二回文芸祭をめぐって第一に問うてみるべき課題なのではないかと私は考えています。要するに「どういう視点や基準で、文芸祭や文章系作品を受け取り、評価すべきか、そもそも定まっていないのではないか?」または「そろそろ定めていくべき時ではないのか?」やはりここでも課題となっているのは、以前の文芸動秋でも問われていた「文章系とは何か」ということではないかと思うのです。「総括」に替えて、こうした点について述べて、今後への展望としてみたいと思います。


文章系とは何か

 詩文FLASHで知られる赤木虫大と対談しながら気づいたことなのですけれど、これまで時を越えて名作として知られてきた文章系の作品というのは、実にその多くが「原作つき」なのですよね。2ちゃんねるの名スレッドをもとにした「さよなら青い鳥」や「母親」、戦没学徒の書簡集「きけわだつみのこえ」冒頭に掲載されている、あまりに有名な手記を作品化した「所感」や、はたまた原作つきとはやや異なりますが、実際の事件、歴史を題材にした「ある騒動の記録」や「日本とトルコ」などなど。

 また、楽曲も、上にならべた作品達はことごとく黒楽曲を用いた作品なのですが、いずれも名曲といえる感動的な楽曲ではないでしょうか。FLASH作品における楽曲の重要性は決定的とも言えるものですけれど、楽曲だけを聴いても感動すると言われる名曲達で、2ch soudtracks(http://soundtrack.dempa2ch.net/)に一時期設置されていた「よく質問される曲」欄にも多くが挙げられていた楽曲達です。

 基本的な文章系の名作の方程式は、ごくごく当たり前のことなんですが、文章だけを読んでも感動を呼ぶ名文または内容と、楽曲だけを聴いても感動する名曲との組み合わせです。傲慢な言い方が許されるならば、それだけでもできる-または文章の感動や情感からはじまって、それを損なわず、最大限引き伸ばす表現のうちに文章系作品というものがある、ということです。


 ここでかなり明快に言い切ろうと思うのですけれど、文章系作品とは、「独立的な文章的表現を、映像作品化したもの」ではないかと考えます。ごく単純に、文章だけを読んでも、それが作品として成立するような、そんな文章をFLASH作品にしたものを文章系と言う、ということです。

 ちなみに、じゃあ文章系は文章だけをテキストで読めばそれでいいではないか、といった非難はあたりません。アニメ系は一枚一枚の絵をサムネイルで見ればいい、というのとそれは同じことです。時間軸上の展開の仕方、展開上の構成や楽曲との組み合わせ方のなかに、「FLASHならではの(または動画作品としての)表現」があります。

 文章系とは、独立的な文章をもとにした表現のことである-たとえばアニメ系ならば、どれほど台詞や解説が多かろうとも、キャラクタの動きや表情やが物語を進めるのであって、むしろ独立的な文章はアニメの文法からすれば邪魔です。小説とアニメの脚本では書き方が基本的に異なります。PV/MG系についても同じことは言え、PV/MG上の煽り文やタイポグラフィと、独立的な文章の文法や構成は、ここで詳細する余地はありませんが根本的に異なります。詩とキャッチフレーズは異なるものです。


 こうした定義をことさらにわざわざ掲げるのは、それが各文章系作品の受け取り方、評価を決する指針でもあるからです。ごく簡単に言えば、PVくずれであってはならない。またはそのような視点で文章系作品を見るべきではない。文章の多いアニメ系作品であってはならない、またはそのような視点で見るべきではない。文芸祭で感じた「観客側の迷い」は、こうしたところの曖昧さに起因するように感じます。もしくは、口幅ったく申しわけないながら、作者の側にもそうした迷いが幾分あるようにも見えました。

 私達観客は、まず第一にその作品にはめ込められた文章に対して、もっと素直に反応していいのではないでしょうか。PV的な華麗さやアニメ的な動きの快楽に目を奪われるよりもまず先に、文章に込められた悲しみや喜び、怒りや恐怖や希望に、率直に反応し、共感や同情や哀切やまたは反感をもって応答していく姿勢で作品を見る、または、その良し悪しを味わう。それが文章系作品に対しては求められてしかるべき第一の姿勢ではないかと思います。かなり大袈裟に書いていますが、「感動もののFLASHスレ」や「泣けるFLASHスレ」上では誰が命ずるまでもなく自然になされている応答です。「ワロタ」「泣けた」「泣けない」「笑えない、腹が立った」から応答ははじまっていいわけで、PV的にダサいやアニメ的に下手だという声は、はっきりいって不要です。

 何故なら、これら文章に、ふさわしい表現であるかという視点で、文章系作品の全体は鑑賞されるべきものだからです。文章的内容が先であって、逆ではない。PV的な華麗さを文章が引き立てているか、またはアニメ的な軽妙さを台詞が引き立ててているか、といった視点で見られるべきではない、または製作されるべきではない。このことは、文章系作品は、PV系やアニメ系とは異なる、れっきとした固有の表現文法をちゃんと持っているのだということです。PV的な派手さやアニメ的な快楽がなくとも、多くの人々を泣かせてきた過去の文章系作品の名作達が、これをきちんと証明しています。


 こうした「文章系作品の見方」や、もしくは文章系固有の表現文法を守り広め発展させていくことが、そしてやはりイベント文芸祭に課せられた使命だといえるのかもしれません。ぶっちゃけて言えばPV系イベントやアニメ系イベントに比べて地味だ、味気ないなどと比較して言われる筋合いはない。相当に口幅ったく「。。すべき」といった語調ばかりの文章となりましたが、これは文章系作品の一愛好者でもある私個人の願いでもあります。今後、文芸祭がますます発展し、こうして文章系作品を発展させていってくれたなら。そんなことを総括に替えて祈りながら、筆をおきたいと思います。
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by bungeisai | 2005-11-15 23:15 | 第六回コラム


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